戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

68回 戦後の『月刊読売』の製本方式と娯楽性(2)

 1946(昭和21)年1月に復刊した『月刊読売』が中綴じ製本だったのは、ごく短い期間で、手元の号で見ると、1946年5月号(第4巻第6号)から平綴じ製本になっているが、これは、「簡易平綴じ製本」とでも呼ぶべきものだ。本来の平綴じは、本体を綴じたあとに表紙をつけて、製本の針金を表紙で隠すが、5月号の針金は表紙の上から打たれている。そして、本文は中綴じ用の面付けになっていて、活版印刷32ページ1台の中央に単色グラビア4ページが綴じ込まれている。つまり、前回取りあげた復刊号(第4巻第1号)と構成は同じなのだが、針金の打ちかたが違う。中綴じではなく平綴じとして針金を打ち、外観だけの平綴じ製本としているのである。中央のグラビアページ(89歳の尾崎行雄を熱海の惜檪荘――岩波茂雄の別荘である――に訪ねた「尾崎さん元気でゐてください」という記事)は、復刊号とは逆に、中綴じ用にノド一杯まで使ったレイアウトになっているのに、平綴じの針金のおかげでノドまで開かず、無理にのぞきこまないと、文字が読めない。ちなみに、前回紹介した通り、2月号では巻頭は1ページと数えたが、この5月号の本文は巻頭を3ページと数えていて、1946年7月15日発行の「夏の増刊号」(第4巻第9号)で戦後の標準形(1ページから数える)に統一されるまで、一進一退である。

『月刊読売』1946年5月号(第4巻第6号)。左:巻頭の目次には、「憲法草案批判座談会」「新しきデモクラシーの課題」「再建日本の礎としての体育」など、時事問題を扱った記事ばかりが並ぶ。右上:同号表紙(部分)。背に沿って記された巻号の数字に重なるように製本の針金が1か所打たれているのがわかる。表紙絵は中西利雄による。右下:同号中央に綴じ込まれたグラビア印刷の記事「尾崎さん元気でゐてください」(部分)。平綴じ製本の針金が邪魔をして、ノドまで広げることはできない
 『月刊読売』の「簡易平綴じ製本」も、ずっと続くわけではなく、1947(昭和22)年新年増大号(第5巻第1号)を見ると、針金の見えない通常の平綴じ製本にもどっている。この新年増大号はページ数が多く、折り丁は16ページ、16ページ、4ページ(活版印刷だが、茶色インキで映画関連の記事を掲載)、16ページ、16ページで、本文68ページという構成。娯楽的な4ページの折り丁の刷り色を変えているが、印刷方式は変わらない。活版印刷による読み物中心の雑誌なのである。ただし、次の2月号はまた「簡易平綴じ製本」になっているという具合で、この雑誌らしく一進一退だ(3月号からは、通常の平綴じ製本に統一される)。
 写真ページは諧調に優れたグラビア印刷が一番、というのが長年の常識で、『月刊読売』でも、前年までは口絵にグラビア印刷を使っていた。しかし、グラビア印刷による口絵は、堅苦しすぎると考えたのか、1947年の号には見当たらない。本ブログ「66回 『青年読売』の最終号は、1945年4月1日発行の「第4輯」(2)」で触れたように、1946年の「夏の増刊号」から、印刷所を読売新聞社に替えたことで、グラビア印刷が手配できなくなったのかもしれない。
 このように『月刊読売』は、性格があまりはっきりしない読み物雑誌として刊行が続いていたが、じつは大衆娯楽雑誌をめざす動きが、1946年「春の増刊号」(3月15日発行)から始まっていた。まず、人気挿絵画家・岩田専太郎の起用に注目しよう。この増刊号では、長谷川伸「ランプ虎」の挿絵だけでなく、表紙絵も岩田専太郎が担当している。岩田の表紙絵と言えば、強い意志を秘めた眼が特徴の、煽情的な美女を連想するが、この号の表紙では、スカーフで髪をまとめた丸顔の女性が花束を抱えている。岩田は、雑誌の表紙を描くときの気持ちを、吉原の牛太郎(客引き)にたとえて「お客を店まで、ひっぱりこむ、これが雑誌の表紙でさア」(「表紙のコツ」『週刊朝日』1954年3月21日号)と語っていたという。本号表紙絵での起用も、この客引き効果をねらったもののはずだが、女性の顔もセーター姿もぽっちゃりとして、肉感的ではあるものの、誰もが一瞬で「あ、「岩専」だ!」と感じるものではない。石川巧『「月刊読売」解題・詳細総目次・執筆者索引 増補改訂版』(三人社、2014年)でも、岩田の名を拾い忘れている。

岩田専太郎を起用した『月刊読売』「春の増刊号」(1946年3月15日)。左:長谷川伸「ランプ虎」の1ページ目。岩田は、小説の挿絵画家としても、『月刊読売』初登場。右:同号表紙。『月刊読売』の表紙絵で岩田が担当したのは、全部で6回だが、本号が1回目である
 1946年「春の増刊号」の表紙絵は、通俗的なファンから見ると、岩田専太郎らしさに欠けていたが、次に岩田が表紙絵を担当するのは、1年以上たった1947年5月号(第5巻第5号)で、いつもの画風の女性がこちらを見ている。この年、岩田の表紙絵が『月刊読売』に登場するのは4回。5月号以外の3回は、製版も軟調で、視線を読者に向けないおとなしい感じの女性の絵だが、すぐに岩田だとわかる。どの号も、通常の平綴じ製本である。

岩田専太郎が表紙絵を担当した1947年の『月刊読売』。左上:5月号(第5巻第5号)、右上:8月号(第5巻第8号)、左下:9月号(第5巻第9号)、右下:11月号(第5巻第11号)