戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

28回 方針のふらつく娯楽雑誌『ホープ』の1949-51年

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ホープ』の扉に、岩田専太郎が描く女性のイラストが載るようになるのは、1948年の10月からだ(49年になると、山名文夫のイラストも使われる)。そのころ、表紙が変わる。鮮明な色のバックに、女性のアップが浮かび、店頭で目立つスタイルになるのである。
49年刊行の号より、記事のタイトルを挙げる。「愛慾の果て」「女性放談」(1949年3月号)、「裸体美コンクール」「肉のない情事」「堕胎医」(49年6月号)、「恋愛ハンドブック」(49年8月号)と、家庭向きではない題名ばかり。グラビアには、「海の歌」(49年8月号)など水着姿の女性の写真も見える。おやおや、これではすっかり男性向きの雑誌ではないか。
ところが、50年になると、ページ数が増え、がらりとまた編集方針が変わる。
まず、表紙には「娯楽雑誌」という文字が入る。目次は、ありふれたイラストで飾られた折り込みになって巻頭に移動する。記事も、「バーグマンの恋愛」「ある日の水の江瀧子」(50年5月号)、「恋のモーター・ボート」「夢にふくらむ新進歌手」(50年8月号)、「ある日の木暮実千代さん」「男性に喜ばれるメーキャップ」(50年12月号)など、女優や女性歌手を扱ったものが増える。今度は、女性の読者を意識した雑誌づくりになるのである。
51年の表紙を見ると、びっくりする。『LIFE』風の表紙で創刊された、あの『ホープ』が、5年たってみたら、『平凡』そっくりの表紙になっているからだ。

「平凡の中のトツプに坐るやうに努力しよう」という編集方針だった『ホープ』が、『平凡』の隣に並ぶような雑誌になってしまった、というのが今回のオチである。――お粗末さま。

(方針のふらついた『ホープ』は、数ヶ月後の51年6月に改題し、生活指導雑誌と自称する『オール生活』になって生き延びる。)

画像は上から、 А悒曄璽廖1949年4月号と5月号表紙(いずれもオフセット印刷)、◆А峪阿弔陵戮蝓廖悒曄璽廖49年6月号(グラビア印刷)、:「海の歌」『ホープ』49年8月号(グラビア印刷)、ぁА悒曄璽廖51年3月号と『平凡』53年5月号表紙(いずれもオフセット印刷)。