戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

月刊読売

69回 戦後の『月刊読売』の製本方式と娯楽性(3)

岩田専太郎は、『アサヒグラフ』1948(昭和23)年4月14日号掲載の人物紹介欄「挿絵画家告知板」で、「挿絵は職人絵だから日本で一番立派な職人になりたい」と答えている。『月刊読売』1947年9月号表紙絵の和服女性の横顔は、岩田が他誌に発表してきた表紙絵…

68回 戦後の『月刊読売』の製本方式と娯楽性(2)

1946(昭和21)年1月に復刊した『月刊読売』が中綴じ製本だったのは、ごく短い期間で、手元の号で見ると、1946年5月号(第4巻第6号)から平綴じ製本になっているが、これは、「簡易平綴じ製本」とでも呼ぶべきものだ。本来の平綴じは、本体を綴じたあとに表…

67回 戦後の『月刊読売』の製本方式と娯楽性(1)

さて、『月刊読売』の戦後復刊(1946年1月)以降の製本方式と娯楽性との関連、それに連動するページの数えかたの変遷について、簡単に俯瞰しておきたい。 戦後の『月刊読売』の歩みは、刊行頻度を上げて、先行する週刊誌『週刊朝日』『サンデー毎日』に追い…

66回 『青年読売』の最終号は、1945年4月1日発行の「第4輯」(2)

前回紹介した『青年読売』第3巻第4号は、1945(昭和20)年4月1日発行で、活版印刷の表紙には「4輯」と記されている。表紙は張りのあるコート紙で、それなりに厚い手触りだが、実際には本文用紙(0.11ミリ)より表紙のほうが薄い(0.10ミリ)。2月号までの製…

65回 『青年読売』の最終号は、1945年4月1日発行の「第4輯」(1)

時代は少し飛ぶが、1951(昭和26)年7月から1960(昭和35)年12月までの9年半の間、週刊誌の定価30円時代が続いた。 まず、1951年5月1日、新聞・出版用紙の統制が完全に撤廃される。18年後に刊行された『日本雑誌協会史 第二部』(日本雑誌協会、1969年)は…