戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

46回 「書物も弾丸だ」――出版事業整備要綱

残っていた月刊の写真雑誌のもうひとつは、『報道写真』である。1944年3月号の「編輯後記」で、「なほ本誌は五月号より「日本写真」と改題し、唯一の写真綜合雑誌として新発足をするが、その準備の為四月号は休刊とする」と告知している。 『報道写真』1944…

45回 月刊誌も、改題や統合が続く

1944年4月、週刊グラフ誌『アサヒグラフ』と『写真週報』が、同時に体裁を変えて「戦時版」になった前後に、月刊のグラフ系雑誌や写真雑誌でも、改題や統合などが続いていた。 国策通信社である社団法人同盟通信社から刊行されていた月刊の『同盟グラフ』(4…

44回 「新体制規格版」から「戦時版」へ

前回、合成写真の例として挙げた『アサヒグラフ』1945年3月7日号は、墨版だけの表紙だったが、そこに至るまで、表紙やページ数は何回も変化している。 40年11月、『アサヒグラフ』は、それまでの表紙のカラー印刷(四六4倍判、表紙とも36ページ、表紙厚み0.1…

43回 大宅壮一はどう見ていたか

さて、しばらく大宅壮一のことを忘れていた。まず、彼が撮った写真を紹介しておこう。手近なところで、『写真週報』5号(1938年3月16日)の本文記事と、『文芸春秋 時局増刊 現地報告』11号(38年8月)の表紙である。戦後の写真時評では、「作為や歪曲の跡が…

42回 『LIFE』の写真を引用するプロパガンダ

前回紹介した林謙一の「敵誌ライフに大東亜戦争を見る」(1943年7~9月号)を連載した『報道写真』(財団法人写真協会、41年1月創刊、B5判)は、『フォトタイムス』(フォトタイムス社)と『カメラアート』(カメラアート社)を統合してできた雑誌で、国策報…