戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

39回 戦前の『アサヒグラフ』で、木村伊兵衛が撮った女性風俗

1939(昭和14)年から40年にかけて、『アサヒグラフ』に、木村伊兵衛が撮影した写真が集中的に掲載される。1枚写真もあるが、いわゆる報道写真の手法で、組写真をまとめた記事が、いくつかある。その中から、女性風俗を写したものを紹介しよう。
「風光り女も光り夏が来る」(39年6月7日号)は、川柳作家・前田雀郎の諷刺的な文章と川柳(たとえば「美容室 とつくに午(ひる)を 過ぎてゐる」)が添えられた、2ページの記事である。
イメージ 1
「風光り女も光り夏が来る」『アサヒグラフ1939年6月7日号(グラビア印刷、文:前田雀郎、撮影:木村伊兵衛
 
前回とりあげた39年12月13日号の表紙(「カメラ 木村伊兵衛」と記されている)には、「風俗漫写 リボンを結ぶ女」と大特集のような扱いが見えるが、本文記事は、これも2ページ仕立て。木村伊兵衛が撮った写真に、「流行だからやつてみるんだけど――」などと、リボンの流行を茶化した文章とキャプションをつけている。「映画ではありません」と記されているのは、前月に日劇で封切された東宝映画「リボンを結ぶ夫人」(山本薩夫監督)の評判にあやかろうという魂胆である。
イメージ 2
「リボンを結ぶ女」『アサヒグラフ39年12月13日号(グラビア印刷、撮影:木村伊兵衛
 
また前回、同様に表紙をとりあげた40年1月24日号にも、木村伊兵衛が撮影した記事「お暖かいことでしよ」が載っている。「リボンを結ぶ女」そっくりのレイアウトで、内容も毛皮を身につけた女性を茶化したもの。しかし、茶化しかたの口調に、微妙な変化が感じられる。「戦地では夏服の兵隊さんもゐるといふのに、毛皮屋さんは大繁昌」と、批判的な感情が込められているのである。
イメージ 3
「お暖かいことでしよ」『アサヒグラフ40年1月24日号(グラビア印刷、撮影:木村伊兵衛
 
言うまでもなく、すでに37年に日中戦争が勃発し、38年には国家総動員法が公布されている。39年6月7日号の表紙には、「支那戦線写真第九十八報」という文字が見える。40年1月24日号を見ると、七・七禁令(奢侈品等製造販売制限規則)の施行までまだ半年あるが、ぜいたくを敵視する気分が、段々と広がりつつあるのが感じられるのである。