戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

55回 『アサヒグラフ』の「空から見た東京の焼跡」

1945年3月の大空襲後、東京の都心から下町にかけては、見渡す限りの焼け野原になった。「焼け野原」というのは、「焼けた野原」という意味にも使うが、ここでは言うまでもなく、「焼けて野原のように何もなくなった場所。やけのがはら」(『広辞苑 第5版』)ということである。東京の焼け野原を空から撮った写真が公表されたのは、戦後すぐのことだ。
それらの写真の中では、日本橋区浜町、久松町を中心とするカットが、よく知られている。左から右へ隅田川が流れ、川向こうの深川区から城東区は道筋が見えるだけの状態。こちら側の日本橋区も、新大橋のたもとに浜町公園が四角く見え、手前に明治座や久松警察署、久松国民学校など、半焼けになった鉄筋コンクリートの建物が点々と残っているだけという写真である。
この写真の、のちの掲載例として、講和条約発効後に刊行された『広島――戦争と都市――』(「岩波写真文庫」№72、52年8月)の、自然災害と戦争被害を示すページを挙げよう。右下の1枚が、東京の戦災の激しさと、範囲の広さを実感させる写真として、現在まで、繰り返し使われてきた写真である
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『広島――戦争と都市――』(「岩波写真文庫」№72、1952年8月、B6判、活版印刷)より。
 
この同じ写真を、最初に「空から見た東京の焼跡」という記事の中の1枚として掲載したのが、『アサヒグラフ』45年11月15日号(本文とも16ページの時代)である。記事本文は、「東京を空から見たらどんな状態だらう。これは国民一般が考へてゐたことに違ひない。ここに掲げた三枚の写真は米国陸軍通信隊の撮影になるものである」と書かれている。警視庁、国会議事堂、三宅坂を一望した写真が一番大きく扱われ、日本橋区浜町の写真は、左下に小さくレイアウトされている。
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「空から見た東京の焼跡」『アサヒグラフ45年11月15日号(B4判、グラビア印刷)。右:警視庁、国会議事堂、三宅坂。左上:新橋駅、汐留貨物駅、浜離宮。左下:日本橋区浜町附近、対岸が深川区
 
じつは、『LIFE』45年9月10日号(本文144ページもあって、ずっしりと重い)に、同時に撮影された別カットと思われる写真が掲載されている。大特集「U.S. OCCUPIES JA-PAN」という記事の中の1枚である。『アサヒグラフ』に掲載されたカットより少し左から、竪川を西から真っ直ぐに撮影し、隅田川に架かる両国橋と新大橋を左右に配している。お台場と東京駅のカットと一緒の見開きの中に、堂々としたレイアウトである。ところが、アサヒグラフ』の写真と細部を比べてみると、建物の影の方向が少し違い、こちらのほうが、撮影時間が夕方に近いのに気がつく。同時に撮影された別カットと思ったのは、勘違いであった。
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BATTERED TOKYO」『LIFE』45年9月10日号(大特集「U.S. OCCUPIES JAPAN」の一部、活版印刷)。左上:お台場、左下:東京駅、右:隅田川と竪川周辺。
 
次の見開きには皇居前、大阪城などの空撮もある。撮影者は東京と同様に George Silk の名が記されているそしてそのあとに、45年7月に呉軍港で空爆を受ける重巡洋艦「利根」、空母「天城」、戦艦「日向」が載っている。
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FLEETS END」『LIFE』45年9月10日号(大特集「U.S. OCCUPIES JAPAN」の一部、活版印刷)。45年7月の呉軍港空爆写真。左上:重巡洋艦「利根」、左下:空母「天城」、右:戦艦「日向」。キャプションでは、航空戦艦に改装された「日向」のことを、「a unique but relatively useless hybrid」と解説している。
 
毎日新聞社の毎日フォトバンクhttps://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.phpで「東京 空襲」と入力・検索すると、193件ヒットする。『LIFE』に掲載された竪川を正面から撮った写真も、『アサヒグラフ』に掲載された浜町の写真も、ちゃんと(それぞれ2枚ずつ)出てくる。新聞各社に配信されていたのであろう。
ちなみに、Googleの画像検索で、Tokyo, Honshu, Japan source:life と入力すると、『LIFE』45年9月10日号に掲載された竪川を正面から撮った写真が出てくる。ところが、Ruins of Hiroshima after the atomic bomb blast source:life と入力すると、同じ写真が広島の写真としても登録されていることがわかる。東京の隅田川と、広島の太田川の区別がつかない人が見れば、東京下町の焼け野原の状態と規模の大きさは、原爆で焼かれたヒロシマにそっくりなのだ。