戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

2回 『毎日グラフ』と大宅壮一「写真時評」(2)

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大宅壮一の「写真時評」が『毎日グラフ』に連載されるのは1949(昭和24)年のことだが、その前に一度、大宅は『毎日グラフ』に登場している。
48年7月1日に創刊したばかりの『毎日グラフ』の第5号である9月1日号に、大宅壮一高田保による「銅像対談 陰の声」という見開きの記事(グラビア印刷)が載っている。上野公園の西郷隆盛銅像と、皇居前広場の楠正成銅像の架空対談である。この銅像2体は、47年に始まった軍国主義銅像を撤去する流れの中で生き残った。楠正成像の兜の前立(鍬形)がなくなっているが、これは45年末に何者かにモギ取られてしまったのだという(『サン写真新聞』48年1月10日付)。「銅像対談 陰の声」の冒頭、まず西郷が「あんたも追放を免がれたつてね。おめでとう」と言って対談が始まる。この対談の下には、上野と皇居前の風俗を撮った写真が各ページ4枚ずつレイアウトされているが、どちらも1枚は、男女が一緒にいる写真。
グラビア用紙はツヤがあって反射するので、小さな画像では読みにくいが、対談のサワリはこんな具合である。

西郷 なにしろあんた、昼日中から若い男と女が木影にもぐりこんで、サンザ見せつけるんだ。そのあげく帰り際に女がわたしをふり向いて「ねエ西郷さんもこんなこと知つていたかしら」といいおつた。
楠 (略)おたがい、あゝいう場面を見せつけられていると、もう一度生の身体になりとうござるな。柔肌の熱き血潮にふれも見で……
西郷 淋しからずや銅像の君。

このエロ好きの架空対談、あれだな、と思い出すのは、「大宅壮一編輯」をうたって刊行された戦前の『人物評論』(人物評論社)で大好評だった「インポシブル・インタビュウ」や「ポシブル・インタビュウ」というショート・コントだ。「或る日の釈迦と武者」(1933年3月創刊号)は、武者小路実篤の女癖をからかっていて抱腹絶倒ものだが、エッチ度が高いので、ちょっと引用しにくい。ここでは、第2号である33年4月号から、「大宅壮一蜂須賀小六」のページ(活版印刷)をお見せする。似顔絵の大宅が、なかなかよい。
大宅は『人物評論』の「創刊の辞」に、「人間、人間、凡そ人間に関するものでありさへすれば、僕は何にでも興味をもち、関心を有し、魅力を感ずるものである」と書いている。このとき、大宅壮一は32歳の青年である。