戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

4回 『毎日グラフ』と大宅壮一「写真時評」(4)

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大宅壮一が『毎日グラフ』の「閑人帖」と題する最終ページに「写真時評」を連載したのは、1949(昭和24)年の1年間である。このころは月2回刊だから、都合24回。2回目の1月15日号では、前年の12月15日号の巻頭に掲載された「シャケは涙か溜め息か」と題する写真(グラビア印刷)を、「カメラの新しい分野に鍬を入れたものとして、興味ある作品である」と論評する。

一本千円もする大きなアラマキの前にいかにも所帯やつれのした中年婦人がうつろな眼をむけて立つている姿は、立派な漫画であると共に漫画以上の迫力をもつている。しかも作為や歪曲の跡が見えないのが強味である(大宅壮一「写真時評」『毎日グラフ』49年1月15日号)。

最終回の12月15日号では、49年の写真界を回顧して、「形態の上からいうと、大体戦前に近いところまで復帰しえた」と書く。特に『フォトグラフィ』の創刊や『アサヒカメラ』の復刊などで、カメラの専門雑誌が盛況であるという。

しかし、一方では、「旬刊ニュース」「サン・ニュース」といつたようなニュース本位のグラフ雑誌が、いずれも赤字つづきで、ほとんど姿を消してしまつた。後に残つているのは大新聞を背景にするものだけという淋しさである。
その代り、一般総合雑誌、文芸雑誌、大衆雑誌等の口絵にグラフを利用することは、今年に入つてとみに盛んになつた(大宅壮一「写真時評」『毎日グラフ』49年12月15日号)。

というわけで、『週刊サンニュース』最終号である2巻12号(通巻41号、49年3月5日、4色オフセット印刷、表紙撮影:小島敏子)と、『旬刊ニュース』4巻6号(通巻55号、49年5月10日、4色オフセット印刷)を並べてお見せする。『週刊サンニュース』はB4判、『旬刊ニュース』はA4判である。どちらも、表紙に小さく広告を入れている(『週刊サンニュース』はサンスター、『旬刊ニュース』は仁丹)。
創刊時(46年1月20日)にはバタ臭い硬派のニュース雑誌だった『旬刊ニュース』も、煽情的な白人女性を表紙に載せ、すっかり風俗雑誌の外観になってしまっている(『旬刊ニュース』については、57回にもう一度触れる予定である)。ネットで検索しても、『旬刊ニュース』は、この4巻6号までしか発見できない。本文には終刊にまつわる文言は見えない(その点は、『週刊サンニュース』も同様である)が、これが最終号ならば、『週刊サンニュース』に2ヶ月遅れで休刊になったことになる。『週刊サンニュース』は、週刊と称していたのに、途中から定期刊行が守れなくなり、実態は月3回か月2回の刊行だった。『旬刊ニュース』も月2回か1回の刊行になってしまっていた。