戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

5回 『週刊サンニュース』の用紙の問題、そして木村伊兵衛

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『週刊サンニュース』(サン・ニュース・フォトス、8号よりサン出版社、1947年11月12日創刊)は、かつては、古書店のグラフ誌の山の中に数百円の値札をつけて隠れていたものだが、びっくりするような高値で目録に掲載されることもある。最近では、いくらか値段がこなれてきたようでもあるが、いずれにしろ、インターネットで検索しても、収蔵している図書館を発見できないという稀少雑誌である(ただし、国立国会図書館で、プランゲ文庫所蔵本をマイクロ資料で閲覧できる)。
『週刊サンニュース』といえば、名取洋之助(1910~62)が「日本の『LIFE』をつくる」という年来の夢を実現させようとして編集した雑誌だ――という伝説が語られてきた。名取洋之助は、戦前に「日本工房」を主宰し、木村伊兵衛、原弘、山名文夫河野鷹思亀倉雄策土門拳、藤本四八などの写真家やデザイナーと仕事をし、写真家・編集者・経営者として活躍した人物だ――こんなことも、繰り返し語られてきた。
『週刊サンニュース』の「写真」のスタッフには、木村伊兵衛、藤本四八、三木淳、薗部澄、稲村隆正、牧田仁、小柳次一、小島敏子などが名を連ね、そして「美術」のスタッフとして原弘、多川精一岡部冬彦、根本進、村田道紀の名が挙げられている。1934年に日本工房から創刊された派手やかな対外文化宣伝誌『NIPPON』には、名取・藤本・小柳らが関わっていた。また、42年に東方社から創刊された大型プロパガンダ誌『FRONT』には、名取とたもとを分かった原や木村と、薗部・多川・村田らが関わっていた。そんな戦前の経緯を知っている人ならば、2誌のイメージを重ね合わせ、『週刊サンニュース』こそ、戦後最強のグラフ誌だったのではないかと思い描く。本格的グラフ誌だと信じられていても不思議はない。

しかし、『週刊サンニュース』の初期の号を見ると、予想とは違う体裁の雑誌なので、とても意外な感じがする。グラフ誌の常識――写真中心のレイアウトで、薄くて平滑性のある用紙を使い、グラビア印刷凹版印刷)で写真の諧調が豊富である――に反して、文字が多く、ぎっちりと組まれている。そして新聞紙のような粗悪な紙質に、オフセット印刷(平版印刷)という組み合わせだからだ。
表紙のレイアウトも、写真を断ち落としていないし、裏表紙まで記事にしているので、表紙らしさが乏しい。オフセット印刷の特徴で、あまりムラのない刷り上りだが、インキの濃度がいまひとつで、写真の諧調も不足している。グラフ誌というよりページ数の多いタブロイド判の新聞を針金でとじたという体裁なのだ。
『週刊サンニュース』に8ヶ月遅れの48年7月1日に創刊された『毎日グラフ』は、グラビア印刷であり、薄くて粘りと艶のあるグラビア用紙が使われ、繊細さと高級感にあふれていた。そんな『毎日グラフ』を追うように、『週刊サンニュース』も48年8月には本文がグラビア印刷(表紙はオフセット印刷のまま)になり、平滑性のある紙質になりツヤが増す。それでも他誌にくらべると、いくらかボソボソした印象である。特に初期のオフセット印刷時代の用紙は、触るだけでボロボロと粉になるので、めくるのを躊躇する保存状態だ。『週刊サンニュース』が稀少な雑誌となっているのは、この保存性が悪い紙質が一因なのである。
実際に紙の厚みを計ってみると、<初期>のオフセット印刷時代は、紙の厚みは0.12ミリで、ざらざらである。グラビア印刷になってからの<中期>はスベスベの紙になるが、厚み0.06ミリから0.12ミリくらいでばらつく。そして、<末期>(最後の9冊)は、またツヤのない紙になり、表紙用紙は本文より厚く0.12ミリ、本文用紙は0.08ミリ前後となっている。
ちなみに、手元にある『読売新聞』は0.07ミリ、「平凡社新書」と「光文社文庫」の本文は0.08ミリ、「岩波ジュニア新書」は0.11ミリ、「角川ノベルズ」は0.12ミリである。そして、お手本にしたと思われる当時の『LIFE』誌は、表紙は0.10ミリから0.13ミリで、本文は0.07ミリから0.09ミリ。めくりやすく感じる厚みは、今も昔も変わらないが、新聞の用紙だけは、確実に薄くなっている。

『週刊サンニュース』創刊号(1947年11月12日)には目次がないし、記事には撮影者の記載もない。しかし、表紙に並んだ女性の横顔写真が木村伊兵衛撮影であることは、本文記事「女の横顔をうつす」の記述で明らかである。「ライカの風俗写真家として、幾度か写真界に新境面をひらいた木村伊兵衛氏がサンニユースの為に数百枚の女の横顔を提供してくれた」という。
『週刊サンニュース』に木村が参加したことは、有形無形の影響を及ぼしている。現在、この雑誌のことを知ろうとするわれわれにとって、木村のおかげでイメージがぐっと高まっていることは確かだ。イメージだけではない。末期には、誌面の面白さが減少する感じがするのは、稲村隆正が写真家の中心になり、木村伊兵衛の名を見ることが少なくなるせいではないかと思われる。稲村の写真には、若々しい視点が感じられても、木村のような熟練の丸みと微妙な諷刺・批評性が足りないのである。諷刺・批評性こそ、大宅壮一が写真に求めたものであったことを思い起こすと、『週刊サンニュース』を手にして物足りない気分がする一因は、そのあたりにあるように思える。『週刊サンニュース』は、余裕のない生真面目すぎる雑誌なのだ。