戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

24回 『毎日グラフ』のロゴデザイン(2)

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『毎日グラフ』の表紙ロゴは、創刊号(1948年7月1日号)ではまだ固定していなかったことを、前回述べた。
一般的に雑誌は、満を持して創刊に至るものと思われているが、実際には、準備不十分で創刊日が迫る。また準備段階では気がつかなかった用紙、印刷、デザインなどの不具合が発見される。ここまでは、普通のことだ。しかし、『毎日グラフ』のように、創刊号と2号とでロゴが違う、3号目も4号目も違うというのは、あまり聞いたことがない。
と書きながら、いや、これこそ毎日新聞社の社風ではないか、と考え直した。
というのは、雑誌創刊前にライバルの朝日新聞社に情報が漏れて、先行していたはずが、逆に後塵を拝することになるという事件が、いとも簡単に起こる会社だからだ。満を持しての創刊ではなく、バタバタとなだれ込むスタイルが身についてしまっていたのではないか。
毎日新聞百年史』(毎日新聞社、72年)は、『サンデー毎日』(22年4月2日創刊)が『旬刊朝日』(『週刊朝日』の前身、22年2月25日創刊)に追い抜かれたことを、「具体的な企画は、うちのほうが早かったが、堂島のノミ屋で、大声でしゃべっているのを聞かれて、先を越されたのだそうだ」と記している。2年後には、『芝居とキネマ』(24年9月創刊)が朝日の『映画と演芸』(24年9月創刊)に、同じように1週間ほど競り負けたことが書かれている。だらしない話だが、これが社風だ。
無理に社風にこじつけようとしているのではない。じつは、『サンデー毎日』の表紙ロゴが、創刊号だけ古臭い書体で、2号から丸ゴチック(戦後まで使われる)になったことを思い出したからだ。当時はタブロイド判だから、B4判の『毎日グラフ』と似たサイズである。そこで、創刊号から4号までの表紙(本文は活版印刷だが、表紙はグラビア印刷)を調べてみたら、やはりロゴが変わっただけでなく、欧文を追加したり、発行所の表示が発売所表示になったりと、いろいろ細かい変更点があることに気がついた。
さて、社風ついでに、また、「大宅壮一編輯」と謳っていた戦前の『人物評論』に寄り道しよう。33年5月号の「新聞時評」(野河清)によると、新聞記事のつくられ方は各社の個性がある。たとえば「いつもながら朝日の社の編集は、品よく落ちついて、ニユースが整理されてゐる点、インテリ向きの商品らしくよろし」。東京日日新聞(現在の毎日新聞東京本社)については「日日は、この月一番優れてゐたやうだ。しかし時々突拍子もない記事を、無作法にトツプに飾つてゐるところなど、悪趣味。それでも、大衆向にはなかなかうまい編集をする」であり、「読売は、何といつても社会面で売つてゐるつもりなんだが、感服しない」。「但しこの社は事件物になると、不思議な迫力をもつて、日日、朝日と肩を並べてゐる点買ふべし」ということになる。
75年以上前の『人物評論』に書かれた新聞記事のつくられ方の傾向は、現在まで社風となって続いているのではないだろうか。

画像は、上:『サンデー毎日』創刊号(1922年4月2日)と2号(22年4月9日、いずれも表紙のみグラビア印刷)、下:『サンデー毎日』3号(22年4月16日)と4号(22年4月23日、いずれも表紙のみグラビア印刷)。