戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

23回 『毎日グラフ』のロゴデザイン(1)

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さて、全国に取材網と販売網を持つ毎日新聞社から1948年7月に創刊された『毎日グラフ』は、無名の『週刊サンニュース』に比べると、段違いに有名なグラフ誌である。
しかし古本としての人気は、大量に出回っている『アサヒグラフ』に及ばない。関東大震災後の大正12(1923)年からの歴史を誇る『アサヒグラフ』は、特に日中戦争勃発から敗戦直後あたりまでの人気が高い。戦争末期と敗戦直後という、一番ヒリヒリしていた時期が過ぎ去ってから創刊された『毎日グラフ』に人気がないのは、手にとる前に、資料的な価値が低く思えてしまうからなのだろう。しかし、それは偏見もしくは誤まった先入観である。先行する他誌を研究し、あとからスタートした『毎日グラフ』には、すぐれた点が多い。社会を映すメディアとしては、少なくとも創刊から数年の間は、ライバル『アサヒグラフ』を凌駕していたと思う。

『毎日グラフ』創刊号は表紙とも24ページ。この時代としては標準的なページ数。定価30円。表紙は本文と共通(厚さ0.08ミリ)で、表紙が赤と墨の2色グラビア印刷なので、本文も部分的に2色印刷が使えるメリットについては、前回触れた。ライバル誌『アサヒグラフ』が、なぜ本文の2色印刷をしていなかったのかというと、表紙の写真はグラビア印刷だが、雑誌名の朱色部分の印刷に限って、オフセット印刷にして社外で刷る、という変則的な方法をとっていたからだ(49年1月から、やっと表紙がグラビアの2色印刷になる)。

『毎日グラフ』は、デザイン的にも洗練されている。まず、表紙から見ていこう。
表紙のグラビア印刷は刷り色も濃く、諧調が出ている。そして、ロゴタイプも落ち着きがよい。じつは、この落ち着きのよい表紙ロゴは4号から始まっている。創刊号から順に並べてみると、創刊号、2号、3号と公開コンペのようにロゴを変えているのがわかる。その結果決まった4号のロゴは、創刊号のロゴを基本にして、より一層洗練させたもので、53年3月まで5年弱にわたって使われることになる。同時代の『アサヒグラフ』『週刊サンニュース』とくらべると、コンパクトに引き締まっていて、明快な印象のロゴだ。
ちなみに、このロゴが使われるのは、月2回刊から旬刊までの時期。53年4月、週刊になるのに伴って採用された2代目のロゴも若々しく勢いがあったが、56年4月に再び変更され、『毎日グラフ』の表紙は一気に個性をなくしてしまう。個人的には、戦後グラフ誌が独自の緊張感を保っていたのは、狭く見れば53年初頭までと思う。最大限広く見ても56年半ばには、グラフ誌の必要性と存在感が感じられなくなってしまった。表紙を見ただけでも、そんな気分は伝わってくるものだ。

画像は、 А慄萋釤哀薀奸拜牢号(1948年7月1日号、2色グラビア印刷)と第2号(48年7月15日号、2色グラビア印刷、撮影:石井清)。◆А慄萋釤哀薀奸拌3号(48年8月1日号、2色グラビア印刷、撮影:二村次郎)と第4号(48年8月15日号、2色グラビア印刷、撮影:中村長次郎)。:週刊になってロゴ変更された『毎日グラフ』53年4月1日号(4色グラビア印刷、撮影:片桐宰)と再度変更された56年4月1日号(4色グラビア印刷、撮影:二村次郎)。ぁА慄萋釤哀薀奸拜牢号と同時期の『アサヒグラフ』48年6月30日号と7月7日号(ともに1色グラビア印刷+1色オフセット印刷)。