戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

36回 グラフ誌は、グラビア印刷に限る――『旬刊朝日』と比べてみる

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週刊になった『アサヒグラフ』が、グラビア印刷を使って創刊されたのは、1923年11月14日だった。編集は東京で、印刷は大阪のグラビア輪転印刷機で、という『アサヒグラフ』の変則的製作方法は、戦後の61年に朝日新聞大阪本社の出版印刷部が廃止されるまで、38年間続くことになる。大阪に設置した高価なグラビア輪転機の能力を無駄なく使うには、変則的ではあっても合理的な考えであった。
アサヒグラフ』以降(その前の『アサヒスポーツ』から、とも言えるが)、モノクロ写真とグラビア印刷という組み合わせは、グラフ誌の常識になった。だから、『週刊サンニュース』(47年11月創刊)で、初期にオフセット印刷が採用されたのは、グラフ誌の世界では、例外的なできごとだった。また、『アサヒグラフ』創刊の40年後、オフセット印刷で創刊したビジュアル雑誌の『太陽』(63年7月創刊)で、モノクロ写真のページに限っては、グラビア印刷が使用されていたのも、モノクロ写真とグラビア印刷との相性のよさについて、信頼性が確立していたからだ。

グラビア輪転機については、朝日新聞社(大阪)は東京・大森の辻本秀五郎による国産機、大阪毎日新聞社アメリカ製を導入し、21年から実用化していた。朝日は続いて、高速・高性能なドイツ製を購入。到着を待つ間は、社外のオフセット印刷を使って毎日に対抗した。両社の競争は、伝統的なものだ。
アサヒグラフ』創刊の1年前に、『サンデー毎日』(22年4月2日創刊)と『旬刊朝日』(5号から『週刊朝日』、22年2月25日創刊)が先陣争いをし、『旬刊朝日』が逆転して先行したことは、以前記した(24回に、『サンデー毎日』の表紙画像も紹介している)。両誌とも、創刊時はタブロイド判だから、日刊の『アサヒグラフ』と、ほぼ同じサイズである。『サンデー毎日』は、表紙とも28ページ、本文は活版印刷だが、表紙をグラビア印刷にして、質感を高めていた。本文用紙は厚さ0.13ミリ、表紙はグラビア用なので厚さ0.09ミリ。対する『旬刊朝日』は、表紙とも36ページ、表紙も活版印刷だったが、3号(22年3月15日)より表紙をオフセット印刷にして、写真の濃度を上げている。本文も表紙も厚さ0.13ミリである。前述の通り、ドイツ製のグラビア輪転機が届く前の1年間は、オフセット印刷で代用していたのである。5号から週刊になって、『週刊朝日』と改題。23年4月からは、表紙をドイツ製グラビア輪転機で印刷するようになって、質感でも『サンデー毎日』に追いつく。表紙のグラビア用紙は、厚さ0.1ミリである。活版印刷オフセット印刷グラビア印刷と順に濃度が上がり、諧調が滑らかになるのが、画像でわかるだろう。表紙がグラビア印刷になってツヤの出た『週刊朝日』の外観は、『サンデー毎日』だけでなく、同時期の『アサヒグラフ』にもそっくりだ。

画像は上から、 А惱楷朝日』創刊号(1922年2月25日)と1巻2号(22年3月5日)表紙(いずれも活版印刷)、◆А惱楷朝日』1巻2号(22年3月5日)の2-3ページ(活版印刷、漫画:岡本一平)、:『旬刊朝日』1巻3号(22年3月15日)と『週刊朝日』1巻17号(22年6月25日)表紙(いずれもオフセット印刷)、ぁА惱鬼朝日』4巻26号(23年12月2日)と『アサヒグラフ』1巻5号(23年12月12日)表紙(いずれもグラビア印刷)。