戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

25回 『毎日グラフ』『LIFE』『ホープ』という連想

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『毎日グラフ』(1948年7月1日創刊)の表紙のデザインは、アメリカの『LIFE』(36年11月23日創刊)の物真似だ、と思っている人がいるかもしれない。たしかに、右開きと左開きの違いはあるが、表紙の左上に雑誌名を赤地に白抜きで入れているところは、よく似ている。赤い地色の寸法もほとんど同じだ。
日中戦争勃発の1年前に『LIFE』は創刊され、日本の写真界も関心を示していた。創刊1年後の『LIFE』の評判について、「創刊号に於て既に四十五万部を売りつくし、一年目の現在には尤に百万部を突破」していると伝える記事(光吉夏弥「氾濫する十仙グラフ――アメリカの写真ジヤーナリズム――」)が『フォトタイムス』38年1月号に掲載されている。売り切れてプレミアムのついた「「ライフ」を御覧にいれますといふだけで、カクテル・パーテイが方々に開かれたほど」に、アメリカ市民に受け入れられ、世論にも影響を与えるようになっていることが、日本人には衝撃だったのだろう。
日中戦争勃発を契機にして、日本を海外に知らせる写真の必要性は、各方面で真剣に考え始めていたときだった。以降、『LIFE』は、日本の写真界や通信社にとって、大きな目標であり、対抗意識を持つ対象となっていった。『LIFE』より13年先行して週刊グラフ誌をスタートさせた、というプライドを持つ『アサヒグラフ』をふくめて、戦中戦後のすべてのグラフ誌が『LIFE』を意識し、その影響を受けていたと言ってよい。
さて、『毎日グラフ』の外観を『LIFE』の物真似だと論評するならば、外観がもっと似ていた雑誌もとりあげたくなる。それは、実業之日本社の月刊誌『ホープ』(46年1月創刊)である。内容はグラフ誌ではなく総合月刊誌であり、判型もB5判というサイズで、それなのに『LIFE』風デザインだから、キッチュな雑誌という印象だ。しかし、創刊当初の内容は真面目そのもの。当時としては写真重視の傾向がかなり目立った雑誌である。活版印刷の本文48頁に対して、グラビア印刷の口絵16ページというのは、とても比率が高い。当時の月刊誌は口絵がないものも多く、あってもせいぜい2ページから8ページが普通だ。
創刊号のグラビアのトップページには、キリスト教社会運動家賀川豊彦の写真が載る。「アメリカ兵の一日」という6ページのグラフ記事もある。グラビアの最後は、沖縄で死んだ従軍記者アーニー・パイル原作のアメリカ映画「兵士ジョーの話(Ernie Pyle's“Story of G.I.Joe”)」の紹介記事。戦争末期につくられ、まだ日本では公開されていない映画なので、この記事は、『LIFE』からの翻訳である。また活版ページの「米記者は日本を斯う見る」などに『TIME』からの翻訳が使われているなど、創刊号はアメリカ密度が高い。
表紙、裏表紙に写真を配した体裁からも、『ホープ』が報道写真掲載に意欲を燃やしていた雑誌であったことが感じられるだろう。ちなみに、表紙の写真の印刷は、墨+グレーのダブルトーンのようだ。題名の朱色も入れて、3色オフセット印刷である。

画像は上から、 А慄萋釤哀薀奸1948年9月15日号表紙(グラビア印刷、撮影:二村次郎)と『LIFE』45年10月22日号表紙(活版印刷、撮影:Myron Davis)。◆А悒曄璽廖拜牢号(46年1月号)の表紙(撮影:仙波巖)と裏表紙(ともに3色オフセット印刷)、:『ホープ』創刊号(46年1月号)のグラビア「アメリカ兵の一日」の最初の見開き。記事は6ページにわたる。ぁА悒曄璽廖46年7月号表紙(撮影:仙波巖)と10月号表紙(撮影:平賀真、ともに2色オフセット印刷)。