戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

27回 大衆雑誌から娯楽雑誌へ向かう『ホープ』の1948年

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「新しい大衆雑誌」を自称する『ホープ』(1946年1月創刊)の編集方針は、「平凡の中のトツプに坐るやうに努力しよう」だった。「平凡」の基準は、終戦後最大の難問――食糧問題と住宅問題――が安定してくるにつれて、徐々に変わるのは当然のことだ。『LIFE』風デザインの表紙に別れを告げた後も、「平凡」の基準が変わるのに応じて、『ホープ』の外観と内容はどんどん変わっていくことになる。
まず、写真中心に構成されていた裏表紙が、47年後半から広告だけになり、普通の雑誌と同じ外観になる。次に、『ホープ』最大の特徴だった16ページのグラビアページは、半分の8ページが2色オフセット印刷に替わり、「ホープマンガサロン」のページになる。更に、活版印刷の本文でも、漫画「アトミックのおぼん」(杉浦幸雄)の連載が始まる。外観も内容も、全体に写真の比重が下がり、漫画の比重が増すのだ。
その上、巻末に小さく載っていた目次が、活版印刷の本文の1ページ目(「ホープマンガサロン」の次)に移動してきて、48年10月からイラスト入りの扉になる。なんと、このイラストは、岩田専太郎が描く、太ももあらわな女性だ。
今までの『ホープ』でも、小説の挿絵を岩田専太郎が担当する例はあった。しかし、それらは話の筋に沿った描写的なイラストであり、扇情的なものではない。今回の扉の変更は、風俗雑誌・娯楽雑誌の傾向へ一歩踏み込んだもので、『ホープ』にとっては大きな方向転換である。

画像はすべて『ホープ』。上から、 裏表紙に写真がなくなり広告に(1948年4月号、オフセット印刷)、◆Т頭グラビア印刷8ページの次に、2色オフセット印刷の「ホープマンガサロン」8ページが続く(48年4月号)、:落ち葉を身にまとった女性の扉絵(48年11月号、活版印刷、絵:岩田専太郎)、ぁЫ?離汽鵐燭気鵑誘惑(?)する扉絵(48年12月号、活版印刷、絵:岩田専太郎)。