戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

61回 もうひとつの諷刺路線――伊藤逸平の『VAN』

アサヒグラフ』の諷刺路線は、大新聞社の歴史あるグラフ誌という器の中に、飯沢匡好みの諷刺を注ぎ込んだものだった。
それに対して、新しく諷刺雑誌という器をつくり、口絵写真でも諷刺路線を鮮明にしようとしたのが、綜合諷刺雑誌VAN』(イヴニング・スター社、19465月創刊、月刊、B5判)の伊藤逸平だ。
日大芸術学部卒の伊藤逸平の本名は伊藤武夫。戦時中最後まで残った写真雑誌『写真科学』の編集長であった(49回参照)。また、戦後の461月、同誌が創刊時の『カメラ』という名前にもどって復刊したときの編集長でもある(雑誌の奥付には、ワンマン社長の北原鉄雄の名が、「編輯兼発行人」として載るだけであるが……)

『カメラ』復刊に際して、伊藤は復刊号(461月号)巻末に「編輯者の抗議」という文章を寄せている。「雑誌を編輯するといふ事は、記事を積集する事ではない。そこには編輯者の主張がなければならない。過去幾年間の間、特に第二次世界大戦勃発以来我々編輯者に、人間として、社会人としての主張が許容されたであらうか。残念乍ら我我に許された事は馬鹿になつてゐる事と息をすることだけだつた」と記す伊藤にとって、自分の主張を『カメラ』誌の上で実現することが当面最大の課題であるはずであった(ちなみに8ページ仕立ての復刊号口絵グラビアには、真継不二夫、福田勝治、坂本万七、土門拳による人物写真各1頁の次に、「US ARMY SIGNAL CORPS提供」と記された「マックアーサー元帥」の肖像写真が載る。そして、その次の見開きには、55回で取りあげた『LIFE45910日号の空撮写真が再構成・転載されている

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伊藤逸平が編集長だった『カメラ』復刊号(461月号)に再構成・転載された『LIFE45910日号U.S. OCCUPIES JAPANの空撮写真。「ライフ誌・ジョーヂシルク氏撮影」とキャプションがつけられている
 
ところが、復刊から5号目の『カメラ』465月号「編輯後記」は、早くも編集長交代を告げている。新編集長・藤川敏行が、「「写真科学」発行以来その編輯責任者として縦横の手腕を振って来た伊藤逸平氏は、病気のため静養の余儀なきに至りましたので、本号を最後に勇退されることになりました」と記しているのだ。
もちろん伊藤退社の本当の理由は病気ではなく、「事業家の上村甚四郎氏と知り合い、出版社を始めたい、君ひとつやってくれないか、と誘われ」(木本至『雑誌で読む戦後史』新潮選書、85年)、売りに出ていたイヴニング・スター社の社名を買って編集局長兼専務取締役となり、465月にVAN』を創刊したためである。
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VAN』創刊号(左上)から6号(右下)までの表紙(表紙:オフセット印刷)。創刊号の表紙は横山隆一2号は池田献児、3号と4号はジャワから復員した小野佐世男が描いた。5号以降1年半ほど(48年4月号まで)は、鮮やかな色使いの河野鷹思のイラストが表紙を飾る
 
創刊号に掲載された「私の言ひ度い事」は、社長の上村甚四郎の名で書かれている。「〝VAN〟といふ文字をコンサイスで引くと前衛・先鋒・尖兵などといふ事になつてゐる本誌VAN〟は政治、経済、社会の汎ゆる腐敗面に対する力を持つた注射、つまり現象の歴史的過程に対する追究を命ぜられた尖兵であり前衛であらねばならぬ」と、尖兵であることを強く主張する。続けて「そこで、もう一度〝VAN〟をコンサイスで引いて見ると、もう一方の意味のある言葉が出て来る。荷車・囚人護送車、これである。成る程〝VAN〟は荷車の如き重量と絶えまなき活発な律動を持ち、囚人護送車の如く質実なる前進を見せたい」と目標を掲げている。同じ創刊号の「後記」では、「漫画に依つて養はれた現象批判力は大きく且つ鋭い」と述べるように、創刊当初から漫画を多用し、表紙は最後まで漫画(諷刺画)で構成された。めざすものは「塩辛に唐辛子をふりかけたやうな」(第1巻第3号「後記」)辛口の諷刺であり、政治も風俗も積極的にとりあげたから、『アサヒグラフ』よりずっと過激な印象である
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伊藤逸平が手がけ、工夫の凝らされた『VAN』初期の口絵グラビア。左:「裸の政治」(『VAN11号、465月)、右:東京裁判被告たちの顔を並べた「世界の顔」(『VAN14号、479月)。
 
伊藤逸平が直接手がけたという巻頭のグラビアページは、彼の写真雑誌編集者としての経験が生かされた。とくに初期は、マン・レイ風の写真の使い方や、不思議なモンタージュなど、手の込んだ口絵になっていた。桑原甲子雄は、『私の写真史』(1976年、晶文社)で、「『VAN』という伊藤逸平編集の雑誌のグラビアを手がけたこともあった」と記している(桑原は、伊藤が『カメラ』誌から去った2年後の1948年秋にアルスに入社し、11月号から『カメラ』編集長として活躍する)。
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キャプションで諷刺の気分を盛り上げる『VAN』の口絵グラビア。左:「煙」(『VAN15号、4610月、撮影:箕輪修)、右:「日本国憲法」(『VAN16号、4611月、撮影:箕輪修)