戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

29回 娯楽雑誌『ホープ』から、実用雑誌『オール生活』へ

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実業之日本社の社史は、「昭和二十六年三月、一時は盛んな売行を見せた『ホープ』が、その後誌勢徐々に後退したところから、六月一日より誌名を『オール生活』と改題し、内容も従来の娯楽雑誌から生活指導雑誌に切りかえて再出発した」(『実業之日本社七十年史』実業之日本社、1967年)と、『ホープ』には冷淡な書きぶりである。
表紙に「実業之日本生活版」と掲げる通り、『オール生活』は『実業之日本』の弟分と言うべき雑誌だ。金をもうけ、自己啓発しよう、というのが、『オール生活』の二大テーマである。
本文に、『旅』編集長の戸塚文子が「チップはゆううつ」(53年3月号)という小文を書いていたりする。彼女の実際的・具体的な持ち味が生きている文章だ。ところが他の執筆者は、「○○○社長」「○○○博士」「○○○理事長」ばかり。つまり戸塚も、成功した著名人として登場しているだけで、名エッセイストとして原稿を依頼されているわけではない。4ページになった口絵グラビアに、興味深い人物や職業が登場することがあるが、本分用紙は粗悪で、レイアウトにも見るべきものはない。コレクターには魅力のない雑誌になってしまった。
現状肯定的で、批判的な記事がないのが特徴だが、あえて言えば、これが実業之日本社の社風である。創刊時の『ホープ』は、「編輯後記」などでは「平凡」を掲げていたが、実際の内容は、民主的・啓蒙的で写真に強い総合雑誌だった。そんな『ホープ』は、実業之日本社の実利的な社風に合わなかったように見える。

ホープ』をひっくり返していたら、49年3月号のグラビアに「氷上の花」(撮影:安田勝彦)という3ページの記事が載っているのに気がついた。以前(17回)に画像を紹介した『週刊サンニュース』2巻8号(49年1月15日)の「氷上の祭典」(撮影:木村伊兵衛)と同じスケートのイベントを追った記事だ。『週刊サンニュース』の木村伊兵衛が、リングの広さを見せる客観的な撮り方をしていたのに比べると、『ホープ』の安田勝彦は、もっと対象に迫っている。リングを5色のライトが照らし、NHKの名アナウンサー藤倉修一が司会をしたというが、イベントの楽しさと、観客の歓声が伝わってくる撮影スタイルだ。これも、なかなかよい。

画像は上から、 А崋其版憩鐱楡験菷如廚諒源悊魴任欧襦悒ール生活』1952年9月号と53年3月号表紙(いずれもオフセット印刷)、◆Г茲螳豼愎討靴澆笋垢こ梓僂砲覆辰拭悒ール生活』55年9月号と56年12月号表紙(いずれもオフセット印刷)、:「氷上の花」(グラビア印刷、撮影:安田勝彦)『ホープ』49年3月号、ぁПΕ據璽犬蓮嵒江紊硫屐廖淵哀薀咼印刷、撮影:安田勝彦)・左ページは「ホープまんがさろん」(オフセット印刷、漫画:小川哲男)『ホープ』49年3月号。