戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

17回 『週刊サンニュース』で、木村伊兵衛は何を撮ったか(2)

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木村伊兵衛は、『週刊サンニュース』では、ニュース性のある記事から、いつ掲載してもよいような記事まで、いろいろと担当していた。前回同様、木村が撮影した3点の記事を紹介するが、どのようなジャンルでも撮ってしまう木村の、職人としての腕の確かさが伝わってくるものばかりだ。

「女の魅力」(2巻7号、1949年1月5日、グラビア印刷)は、女性美を発揮する心がけを説く記事に添えた写真で、女性の美しさを写しとるのは、木村の最も得意とするジャンルである。
「氷上の祭典」(2巻8号、49年1月15日、グラビア印刷)は、48年12月に行なわれた日本スケート連盟創立20周年記念イベントを撮ったもの。会場のメモリアル・ホールは、GHQに接収されていた両国の旧国技館であるが、木村はスポット照明の中での撮影に果敢に挑戦している(『ホープ』49年3月号に同じイベントを撮った「氷上の花」という3ページのグラビアあり。撮影は安田勝彦。29回参照)。
「歌舞伎――名優菊五郎を中心として――」(2巻9号、49年2月5日、グラビア印刷)は、木村のライフワークの1つである六代目尾上菊五郎を撮影したシリーズから構成。記事本文(杉山誠)は、菊五郎の体調について、「最近、健康を害してきたので、大切な老来の花に兎角精彩の気を欠くようになつたのは真に残念である」と記している。菊五郎は、5ヵ月後の7月10日に63歳で死去する。

このように、木村が撮ったページだけをまとめて見ると、バラエティに富んでいて面白く感じるが、木村伊兵衛という名前から立ち昇るオーラのおかげで、そう感じているだけなのかもしれない。編集長の名取洋之助は、あまり評価していなかったようだ。『週刊サンニュース』が休刊した翌年の『アサヒカメラ』で、大竹省二との対談中に、持論を展開している。
名取は、「報道写真家は、映画で言えば一人でシナリオ・ライター、監督、カメラマン、その上編集者をも兼ねるというのでなければいけない」という考えであった。ところが「若い人達にも、そう吹きこんできたのですが、木村君や土門君とか藤本君、牧田君、松田君、最近でも三木君、稲村君、長野君などと一緒に仕事をしてみて失望した。雑誌の編集者の方も、きつと悪いのでしよう。とにかくまだ、本格的な報道写真が、風靡する所までゆきません。そして私自身も、編集者的立場になると、ちよつと編集者の味方になりそうです」(「先輩に聞く」『アサヒカメラ』50年6月号)。