64回 朝日新聞社の『支那事変画報』と『アサヒグラフ』を比較する
しかし、表紙をめくって本文を見比べると、重要な相違点に気がつく。『アサヒグラフ』の本文中には、小さな広告が割り付けられているのに対し、『支那事変画報』には広告がない(だから、すっきり見える)。つまり、『支那事変画報』は『アサヒグラフ』に似た体裁だが、雑誌扱いではなく、単行本扱いなのだ。
『支那事変画報第八輯』(週刊朝日・アサヒグラフ臨時増刊、1937年11月22日)のレイアウト。『アサヒグラフ』に比べると、文字が多いが、広告がないのですっきりとしている。写真を斜めに傾けるところは、『アサヒグラフ』に似たレイアウトだ。
朝日新聞社刊行の『支那事変画報』で、唯一広告が載るスペースは、裏表紙の内側の面(いわゆる表3)である。記事の一部として、地図や図表のスペースに充てられることもあるが、広告を載せるときは、自社広告に限定している。表3の自社広告の例として、『支那事変画報第四輯』(1937年9月20日)と『支那事変画報第五輯』(1937年10月5日)を見てみよう。
『支那事変画報第四輯』掲載の広告では、「アサヒグラフ」という文字ばかりが、大きく目立つ。『北支事変画報』と『日支事変画報』は臨時増刊だから、まだ『アサヒグラフ』の付属物といった存在だ。ところが『支那事変画報第五輯』掲載の広告では、『日支事変画報』(すでに第四輯から『支那事変画報』と改題しているのだが……)と『アサヒグラフ』を対等に並べ、「支那事変写真」を掲載するメディアに、ふたつの流れがあることを矢印で示している。『日支事変画報』バックナンバーの下には、「各輯共再版が出来ました」と記されている。臨時増刊と称しながら、すでに定期刊行が決まっていたのだろう。「永遠に遺る事変戦線写真画報」というコピーは第四輯と同じだが、それに続けて、「第一線で活躍する我が勇敢なる将士の辛苦を偲び感謝するために! 銃後の御家庭に是非各冊を取揃へてお備へ下さい」と、読者の感情に強く訴える宣伝文になっている。また、広告ページの地は日の丸の絵柄になっている。戦後書かれた『朝日新聞出版局史』(朝日新聞社出版局、1969年)は、「日中戦争が徹頭徹尾、日本の侵略戦争であっただけに、当時これら雑誌の編集に従事していた同人たちの思いは辛いのである」と記すが、広告を見る限り、戦争を支援・肯定する気分がなかった、と断言することはできない。少なくとも、戦争を機に売上部数を伸ばそうという意欲は満々である。