戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

32回 『太陽』に見える『暮しの手帖』『LIFE』からの影響

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『太陽』(平凡社、1963年7月創刊、当初は定価290円)は、「「きりのない百科事典」であると同時に「目で見る詞華集」でもあります」(「創刊のことば」)と自分自身を規定している。毎号特集を組む、ぜいたくな教養志向の雑誌としてのスタートである。。
創刊号から6号(63年12月号)までの目次は、格子状に区分けした見開きに、装飾的にレイアウトされている。よく見ると、ページ順ではなく、ジャンル分けされた目次である。創刊号では、「特集」以外を、「生活」「美術と旅」「よみもの」「ルポ」の4ジャンルに分けていたのが、6号では、「生活」「よみもの」「旅とルポ」と、3ジャンルになり、すっきりとわかりやすくなった。しかし、「美術」というぜいたくを象徴する言葉が消えてしまっている。
目次のデザイン感覚について好き嫌いはあるだろうが、創刊号の目次――ゴシック体重視の文字と大きめの数字(ページ番号)の組み合わせ――には、モダンな力強さがあった。それが2号から少しずつ調整され、6号の目次では一番大きな見出しは明朝体主体で、ゴシック体は小さな文字に使われるようになっている。柔かさは出るが、モダンな力強さは消え、凡庸な印象になった。
また、しっとりとした手触りで高級感のあった表紙用紙も、6号からは表面に光沢のあるものに変更された。光沢のない紙は印刷のコントラストは上がらないが、上品さにおいては勝る。コントラストの出る光沢紙は、鮮明な印象はあるが、見方を変えれば下品という評価になる。「創刊のことば」によると、テスト版を製作して海外にも送り、検討した上での創刊号であったはずなのに、創刊から半年の間に、ぜいたく感・高級感という個性を弱めて大衆向け路線へと修正開始していたのである(7号以降の大変更については、次回に触れる)。
『太陽』のジャンル分けの目次から感じられるのは、『暮しの手帖』(当時は季刊、B5判)を意識していることである。ほぼ同時期の『暮しの手帖』71号(63年9月、定価190円)の目次を見ると、「暮し」「すまい」「料理」「服飾」「買い物」「こども」「健康」「あれこれ」と8つのジャンルに分けられている。すべて日々の暮らしに関係の深いジャンルばかりで、『太陽』の目次の「生活」というジャンル以外は、ほとんど重ならない。つまり『太陽』の立場はアンチ『暮しの手帖』風で、生活感を最前面に出さない、余裕たっぷりの読者を対象にしているのだ。
その一方で、『太陽』の「生活」というジャンルには、『暮しの手帖』からの影響がはっきり見える。たとえば「現代の家族」という『太陽』の連載は、『暮しの手帖』の「ある日本人の暮し」という連載を、語り口までそっくり真似たものだ。しかし、毎号たった4ページだから、掘り下げ方がいかにも浅い。家族の姿を表面だけなぞっている感じである。
暮しの手帖』71号巻末の「編集者の手帖」で、花森安治は、「第一号は、一万部刷りました。この第七一号は、八十万部刷ります」と書く。「ほとんどの雑誌が、広告の収入を考えにいれて、経営されています。それでないとやっていけない、というのが、世間の常識になっています」「湯わかしを買ったら、フタの裏に、よその広告がついていた、なんてことは、きいたことがありません。ブラウスを買ったら、ボタンに、よその広告がぶら下っていた、ということもきいたことがありません」と、広告を載せない『暮しの手帖』のポリシーを、熱く記している。
もちろん『太陽』は、『暮しの手帖』のような孤高の雑誌ではないから、広告をどんどん載せる。大量の広告を記事の間に挟んでいるところは、40年代の『LIFE』に似ている(30回参照)し、記事の内容にも『LIFE』の影響がうかがえる。たとえば『太陽』4号(63年10月号)に掲載された「ジャングル・ドクター」(撮影:トマス・へプカー)は、ユージン・スミスの代表作「COUNTRY DOCTOR」(『LIFE』48年9月20日号)にそっくりなのだ。

こうして、他誌の美点や個性を意識してスタートした『太陽』だが、「創刊のことば」を読み返しても、なぜ今創刊しなければならないのかという必然性と熱意は、それほど強く伝わってはこない。創刊の63年は、東京オリンピックの前年である。高度経済成長下ではあったが、実感としては、まだまだ貧乏な時代でもあった。『太陽』は「monthly de luxe」と自称した通り、当時としてはちょっと背伸びをしてスタートしたぜいたく雑誌だったけれど、世の中は、そのぜいたくさを受け入れるほどに豊かになっていなかった。そんなことが、6号までのデザイン変更や用紙変更から読みとれる。

画像は上から、「創刊のことば」『太陽』創刊号(1963年7月号、オフセット印刷、文:谷川健一)。「目次」『太陽』創刊号(63年7月号、オフセット印刷、デザイン:松本恭子)。「目次」『太陽』6号(63年12月号、オフセット印刷)と「目次」『暮しの手帖』71号(63年9月、オフセット印刷)。「現代の家族/イヌとスズメと少年たちの城」『太陽』6号(63年12月号、グラビア印刷、撮影:島内英佑)と「ある日本人の暮し43 走れ新ちゃん」『暮しの手帖』71号(63年9月、グラビア印刷)。「ジャングル・ドクター」『太陽』4号(63年10月号、グラビア印刷、撮影:トマス・へプカー)。「COUNTRY DOCTOR」『LIFE』48年9月20日号(活版印刷、撮影:ユージン・スミス)。