戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

51回 3月10日の東京大空襲(3)

1945年3月10日の東京大空襲について『写真週報』が初めて報じたのは、3月28日発行の364-365合併号だった。『写真週報』は、総花的構成の『アサヒグラフ』に比べると特集主義で編集されている。A3判時代の『写真週報』は表紙とも8ページ(裏表紙は漫画と雑報)。この号は、第1特集が大空襲後の東京で、表紙を入れて5ページ分を使っている。第2特集が硫黄島の「総攻撃」(いわゆる玉砕)で、2ページ分を当てている。『アサヒグラフ』3月28日号(表紙とも16ページ)と、記事の構成を比べると、性格の違いが見えてくる。
前の週に東京大空襲を報じた『アサヒグラフ』は、3月28日号では、特集タイトルこそ「帝都戦災者の新生へ」だが、表紙は「本土制空の陸海航空部隊勇士」の写真(下の1枚は、3月20日の『朝日新聞』に掲載されたものと同じ)である。
それに対して、『写真週報』表紙の写真は、「早く焼跡を片づけて決戦農園に、と意気込む東京都神田区内の某隣組の人々」。題字下のスローガン「時の立札」は、「のこらず 耕せ くまなく 蒔け 皇土こぞりて 勝利の糧の母たらん」と謳う。表紙下には、「焼跡で育つ春まき野菜」が7種並んでいる。まるで、東京が焼けてよかった、畑ができる、というような明るい雰囲気であり、空襲を受けたときの人々の恐怖などは、感じられない。
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アサヒグラフ1945年3月28日号表紙(B4判、厚み0.08ミリ、グラビア印刷)と、『写真週報』364-365合併号表紙(45年3月28日、A3判、厚み0.12ミリ、グラビア印刷)。
 
そして、『写真週報』中央の4~5ページには、3月18日に深川の富岡八幡宮の焼跡を歩く天皇の写真「畏し 天皇陛下 戦災地を御巡幸」を大きく載せている。『写真週報』は「壁写真新聞」として活用されるのを期待されていたが、いかにも好適な題材である。次の6~7ページに、空襲を受けた浅草仲見世、被災者の集団疎開などをこまごまと取り上げているのと対比すると、レイアウトのメリハリが感じられる。
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「畏し 天皇陛下 戦災地を御巡幸」『写真週報』364-365合併号(45年3月28日、グラビア印刷)。
 
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「この仇討たでおくべき 一日も早く戦列へ!」『写真週報』364-365合併号(45年3月28日、グラビア印刷)。
 
アサヒグラフ』では、同じ「天皇陛下 戦災地を御巡幸」の写真(新聞各紙には3月19日に掲載された。YouTubeでは、このときのニュース映像を見ることができる。http://www.youtube.com/watch?v=wR-6I8NUBTs)は、長野県へ集団疎開する被災都民を追った記事「この憤激を滅敵の戦力へ」と一緒の見開き(2~3ページ)に割り付けられ、2分の1ページの大きさで掲載されている。集団疎開の記事は、「未練がましくいつまでも焼跡を掘り返して居てもこの危局下の戦力に何ものをも加へぬ」のだから、「戦力の大きな源である食糧確保に農村へ行つて働こう」と励ます論調である。「春陽は山野に充ち充ちて、食糧戦への突撃喇叭は鳴り渡つてゐる」と元気だが、左下の写真(長野県湖南村)の山々にはまだ雪が残る(この写真も、3月20日の『朝日新聞』に掲載されたものと同じ)。
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「この憤激を滅敵の戦力へ」『アサヒグラフ45年3月28日号(グラビア印刷)。「天皇陛下 戦災地を御巡幸」は、コラム風に2分の1ページの大きさで掲載されている。
 
アサヒグラフ』には、速報性から離れた埋め草的な記事が続く。「火を吐く制空砲陣」(4~5ページ)は、手持ちの写真で構成したような記事だし、「翼を生み出すこの労苦」(6~9ページ)という記事も、「近代戦には厖大な航空機が要る。その消耗量は想像に絶する。しかも敵は攻勢に猛り立ち、我は残念ながら守勢だ」というリード文に緊迫感があるだけで、設計から生産まで、すべて海外の写真が使われている。機密上、日本の飛行機工場は見せられない部分があるとしても、臨場感に欠ける記事だ。「雄々し女子通信隊」(10ページ)、「あひるを飼はう」(11ページ)、漫画「推進親爺」(12ページ)、「B二九撃墜王故遠藤中佐」(13ページ)と続き、「猛り立つ驕敵」(14~15ページ)で、「三月十七日以来同島よりの通信が杜絶するに至つたのは、真に遺憾の極みである」と記しているのが、いくらか速報性のある記事と言えるだろうか(15ページに「次号(四月五日号)から本誌は旬刊制に」という告知が載る――50回参照)。最終16ページ(裏表紙)は広告である。
こうして見ると、『アサヒグラフ』の速報性のある記事には、新聞本紙に使われたのと同じ写真が使われていること、そして、この時期の最大のテーマのひとつが、食糧問題であったことに気がつく。