戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

52回 「断ジテヤレ」――『写真週報』最終号

 A3判8ページだった『写真週報』は、366号(1945年4月11日)からA4判16ページになる。用紙の厚みは0.12ミリで変わらないので、紙の使用量自体が減るわけではない。しかし、判型を半分の大きさにすることで、製版フィルムの有効利用や運搬の容易さなどに、メリットがあったのだろう。A2判の紙を2枚重ね、それを二つ折りにしたもの(ここまではA3判時代と同じだが、厳密に言えば、紙の目が逆になるはずである)を、もう一度二つ折りにしているが、仕上げ断ちはされないままなので、読むときには下辺をナイフ等で切り開く必要がある。

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    A4判とA3判の大きさ比較。『写真週報』367号表紙・裏表紙(1945年4月18日、A4判、
     グラビア印刷)と、361-362合併号表紙(45年3月7日、A3判、グラビア印刷
 
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   「敵米軍陸上機」『写真週報』369-370合併号(45年5月9日、A4判、グラビア印刷)。中央の
    ページ(8~9ページ)を、A3判時代と同様に見開きで、なおかつ横倒しにして使っている
 
 A3判時代の表紙のスローガン「時の立札」から部分的に引用すると、「油は兵器の血液だ」(321号、44年5月17日)、「工夫と汗のあるところ 都心にも麦は稔る」(325号、6月14日)、「君等の造る翼もて空を覆はん」(326号、6月21日)、「もつと 造らう もつと 大切に使はう 戦ふ紙を」(344号、10月25日)、「送り出せ 魂こめた飛行機を」(348号、11月22日)、「造れ! 木製飛行機」(358号、45年2月7日)と、兵器から軍需物資、食糧まで、増産を繰り返し呼びかける一方で、「断じて 撃つのみ」(327号、44年6月28日)、「勝て勝て 勝つんだ」(328号、7月5日)という、観念的な掛け声も混じっている。
 本土空襲が激しくなって、物量で圧倒されていることが誰の目にも明らかになると、「戦ひの激しさ 神州を覆ふ あゝ全機特攻 重ねて言ふ 全機特攻」(356号、45年1月24日)と、負け戦を前提としたようなスローガンになる。最後は、最善を尽くし祈りを捧げるという、宗教的な境地へと向かい、「常に勝つことをのみ考へ 勝つことに総てを捧げよ われらの父祖はこれをなしたり」(361-362合併号、3月7日)、「怒りをこめ 祈りをこめ くぢけぬ心あるところ 必ず勝つ」(363号、3月14日)などと、滅びの美学に酔うような、奇妙な陶酔感が増してくるのである。
 A4判になってからの表紙のスローガンは、かなり短くなる。「この翼 この腕に 勝機かゝる」(367号、45年4月18日)、「一人 以て 国を興す 特攻精神なり」(368号、4月25日)、「装ひ清く はればれと 若き神々は征く 勝つ国の大き御楯と」(371号、6月1日)、「食糧増産に全力を挙げよう」(372号、6月11日)、「七生尽忠 以て皇土を護らん」(373号、6月21日)。
 
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    『写真週報』369-370合併号(1945年5月9日)、371号(6月1日)、372号(6月11日)、
          373号(6月21日)の各表紙(いずれもA4判、グラビア印刷
 
 そして最終号になる374-375合併号(7月11日)にはスローガンは印刷されず、「ラバウル化された地下陣地内」で作戦を練る参謀たちの背後の、床の間のような壁には、「断ジテヤレ」と書かれた絵馬状の板が掲げられている。
 
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     『写真週報』374-375合併号(45年7月11日、A4判、グラビア印刷)の1ページ(表紙)、
      16ページ(裏表紙)、8~9ページ(中央の見開き)。表紙には「断ジテヤレ」と
      書かれた絵馬状の板が写っている。刊行された最終号とされるが、切り開かれず
                   に残存している例が多い