戦後グラフ雑誌と……

手元の雑誌を整理しながら考えるブログです。

13回 『週刊サンニュース』の末期症状(1)

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左開き横組みでスタートした『週刊サンニュース』が右開き縦組みになったのは、8号(1948年1月29日)からで、版元も毎日新聞社が出資する株式会社サン・ニュース・フォトスから、有限会社サン出版社に変更になった。
三神真彦『わがままいっぱい名取洋之助』(筑摩書房、88年)には、「これまでの用紙代の赤字は松岡[謙一郎]がかぶり、それ以外の債務債権は洋之助の『サン出版社』が引きつぐことにした」と書いてある。この時点で、『週刊サンニュース』は毎日新聞社の資本系列から離れて、独り歩きを余儀なくされたのである。
5ヵ月後の48年7月1日には、毎日新聞社から『毎日グラフ』が創刊される。こうして、『週刊サンニュース』は、戦前から続く『アサヒグラフ』(週刊)と新顔の『毎日グラフ』(月2回刊)に挟撃されることになった。『週刊サンニュース』のイラスト記事は個性的だが、それだけで対抗できるはずはない。全国に取材網と販売網を持つ大新聞社の2誌に対して、ニュース取材力と営業力が弱い、という欠点は明らかだった。
『週刊サンニュース』の記事は、徐々に緊急度の低いイラスト記事や、図案的なレイアウト処理が中心になる。紹介した画像は、2巻8号(49年1月15日)の連続した8ページ(10~17頁、グラビア印刷)。総ページ数20だから、本文は16ページである。本文記事の半分が、取材に行かなくても、デスク上の作業で処理できる埋め草的記事で占められているのだ。実質旬刊ではあるが、週刊と称する雑誌ならば、時代の空気を的確にニュースにして報道する必要がある。グラフィックに処理された記事だけにたよるのは、末期症状と言えるだろう。
『週刊サンニュース』は、このあと4号出して、通巻41号で休刊に至るが、そのあたりを、もう少し見てみよう。